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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
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・・・すでに毎日新聞でも報道され、このブログでも紹介したあの記事についての、アメリカでの報道です。

▼The Hiroshima Cover-Up(ヒロシマもみ消し)
Amy Goodman and David Goodman @『ボルチモア・サン』
http://www.baltimoresun.com/news/opinion/oped/bal-op.hiroshima05aug05,1,806243.story?coll=bal-oped-headlines


※邦訳:『甘いおやつ』
http://d.hatena.ne.jp/amai_oyatsu/20050806

>軍による検閲によって差し止められてから60年,決して日の目を見ることがないようにと米政府が願っていたひとつの記事がついに公表された.核が落とされた後の長崎の状態に関するジョージ・ウェラー記者自身による直接の取材による原稿の発見は,前世紀における原爆投下の影響のもみ消しというジャーナリズムの裏切りのひとつに光を当てた.
>1945年8月6日に米国はヒロシマ原子爆弾を落とし,その3日後にはナガサキに落とした.ダグラス・マッカーサーはすぐに南日本を立ち入り禁止とし,ニュースメディアを追い出した.原子爆弾によって20万人以上がヒロシマナガサキで死んだが,西側ジャーナリストの誰一人として,直後の状態を目撃した者はおらず,様子が語られることもなかった.そのかわりに,世界中のメディアは日本の降伏を報道するために戦艦ミズーリ号に詰め掛けていた.
>原爆投下から1ヵ月後,2人の記者がマッカーサーを無視して,自ら取材に出かけた.シカゴ・デイリー・ニュースのウェラー記者は手漕ぎの舟に乗り,そして電車で廃墟と化したナガサキに到着した.フリーのジャーナリストである Wilfred Burchett 氏は30時間電車に乗り,歩いて黒こげの残骸と化したヒロシマに入った.
・・・

・・・おやつですが、私はおせんべいとか柿の種とか好きなんです。
でもたまにミスドフレンチクルーラーを食べたくなります。



・・・この手の資料が中国から発見されるというのは、いかにもカッコ悪い。

▼旧日本軍の人体実験、外国人犠牲者のリスト見つかる
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200508020276.html
>戦時中に旧日本軍に逮捕された後、関東憲兵司令部から731部隊に特別移送され、細菌を使った人体実験の犠牲となった外国人(「特移扱い」と呼ばれた) 22人の名簿と資料が1日、中国の歴史研究者によって初めて公表された。犠牲者は旧ソ連の兵士やスパイ、旧ソ連のために活動していた朝鮮人スパイなどで、旧ソ連人15人、朝鮮人6人。
>名簿と資料は、旧日本軍が未廃棄のまま残し、黒竜江省吉林省の資料館や中央の資料館に保存されていた日本語書類の中から見つかった。書類は関東憲兵司令部司令官が署名発行したもので、外国人犠牲者の氏名・性別・年齢・本籍地・職業・身分・当時の住所・逮捕地点とその理由、各憲兵隊長による「特移扱い」伺い、関東憲兵司令官による承認番号などのデータが、比較的完全な形で残っている。

・・・防衛庁の戦史資料室も、こういう資料は自分から公開していくべきではないだろうか?
「他人に発見されるまで黙ってました」というのは、正直みっともない。



▼土産話では済まされない
イラクで拘束 高遠さん 現地での出来事語る大宮図書館
http://www.saitama-np.co.jp/news08/06/04l.htm
(@埼玉新聞)

>昨年四月、ボランティアで訪れたイラクファルージャ近郊で、
イラク武装勢力に拘束された、高遠菜穂子さん(35)が四日、さいたま市大宮区高鼻町の大宮図書館で、
「命に国境はない」と題し、語った。九年目を迎えた「原爆と人間展」(七日まで)の特別企画。
>「お騒がせしてご心配かけたこと、申し訳ないと思っています」と切り出した高遠さん。
事件後四カ月でイラクの隣国ヨルダンを訪れ、
バグダッドで路上生活する薬物依存の子どもの自立支援活動を再開。

「今生きている者として、ファルージャを見てきた者として、土産話では済ませられない」と、
全国各地やニューヨークで報告会を開くなど、近況を語った。高遠さんは二〇〇三年五月、イラクに初入国。
>米国の「大規模戦闘終結宣言」直後にも関わらず、ファルージャ市内で見たのは銃を構える米兵の姿と、
市民による「占領反対」のデモ(ピースウォーク)だったという。
「戦争は終わっていなかった。私たちにとっても米軍が一番危険度が高かった」。
>高遠さんも入国二日目に宿泊先のホテルで米兵に銃撃され、
知人の日本人ジャーナリストは取材中に米兵に後ろから袋を被せられて連行され、
九日間の拘留で囚人扱いされたという。「市民の最初の抵抗は非武装だった」にも関わらず、
米軍はデモ隊への威嚇、外国人武装勢力の掃討作戦と称し、民家への破壊行為や市民に対する銃撃を繰り返し、
死傷者が続出。反発した市民は外国人武装勢力リクルートされるなどして銃を手にし、悲劇は広がったという。
>高遠さんが紹介した写真や映像には、米兵が家宅捜索した民家で排泄物をイスラム教典で拭って壁に擦り付けた侮辱行為や、
>見分けがつかないほど腐敗したり、不自然に青白く焼きただれた遺体、
米軍にぞんざいに扱われた遺体に泣きすがる家族の姿があった。
>「いろいろ考えたが、結論的にはやはり行くことを選択する人間でいようと思う」と高遠さん。
会場からは激励の拍手が送られた。




・・・コメント欄で教わった記事をメモ。
これは大学時代の恩師が言っていたのだけど、「たとえ善意からだろうがなんだろうが、政治性に学問を従属させたら、それは『御用学者』や『逆御用学者』になってしまう。あくまで学問的な厳密さを保つことが研究者には必要なんだ」と。

日中韓副教材への疑問(下川正晴)
(@毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050722org00m030088000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050726org00m030037000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050729org00m030090000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050802org00m030027000c.html

>東アジアの歴史対話自体については、僕は肯定的に評価している。「東アジアで共通の歴史認識ができるわけがない」「国家間の歴史対話は無意味だ」などというシニカルな態度を、僕は取らない。
>相互の歴史対話を通じてお互いの歴史認識の違いを明確にし、そのうえでいかにして「共生」(それは「共苦」である場合も少なくない)を考えるのが、知恵の出しどころだと思っている。

>「事実に基づき、礼儀を尽くして、是々非々で論語すれば、日韓『歴史問題』は必ず解決できる。それが私の信念だ」
西岡力東京基督教大学教授は新刊の著書「日韓『歴史問題』の真実」(PHP・刊)のまえがきで、このように書いている。僕もまったく同感である。
>では、鳴り物入りで出版された「未来をひらく歴史」3カ国版が、どうして前述(18〜20回参照)のようなお粗末な記述になってしまったのか?
>その理由を推測するには、ほかならぬ日本側執筆の中心メンバーのひとりである大日方純夫・早稲田大学教授が、ハンギョレ新聞(5月15日)の共同インタビューで答えた内容が参考になるだろう。
・・・
>ここで大日方教授が認めているのは、とにかく「2005年春に出版することが実践的な課題だった」ということである。分かりやすくいえば、2005年の歴史教育界で焦点になっていた「新しい歴史教科書・改訂版」の検定・採択に対抗することが先決だったということだ。だから「拙速」との批判もいとわず、3カ国共同の「産物」として、出版を急いだということなのである。
「歴史記述」に「政治的運動」を介入させるなら、その歴史記述の質が、無残なまでに低下するのは明らかだ。歴史研究者としては自殺行為に近い。だから、まともな歴史研究者の中では「未来をつくる歴史」に対する評価は、きわめて低い。
・・・
>日韓の歴史共同研究としては、このほど、第1次研究の論文が公開された「日韓歴史共同研究委員会」の報告書に、質の高い論文がそろっている=写真3。
>これは日韓政府間の合意に基づき、2002年5月に活動を開始したものだ。日韓間で見解の異なる論点については、双方から論文を提出し、相互に批評を加える形がとられた。第2次研究では、日韓相互の教科書も共同研究の対象にすることになった。結構なことだと思う。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」