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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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戦争なんか、デキッコナイスよ

▼[AML 0088] バンダアチェで発砲、インドネシア国軍兵士が負傷
@aml

http://www.asahi.com/special/041227/TKY200501090116.html より
>8日午後10時ごろ、インドネシア・ナングロアチェ州バンダアチェの市街地で、
>発砲があり、軍関係者によると、国軍兵士1人が負傷した。(以下略)



インドネシアへの自衛隊派遣が事実上何の議論もなく決定されましたが、
アチェでは以前より「自由アチェ運動」という武装反政府勢力とインド
ネシア政府軍との衝突が続いています。
自衛隊がどういう装備でアチェへ行き、行って何をするのかは本来なら
慎重に検討しなければならないことです。積極的にインドネシア軍に加
担することはないとしても、インドネシア軍と反政府勢力の間の戦闘に
巻き込まれる危険はないとはいえません。
>下手をすると自衛隊に犠牲が出る可能性もないとはいえません。それを
どうやって避けるつもりなのか。
なにより、自衛隊の海外派遣が、根拠法も曖昧なまま国会での議論もな
し政府の一存で決定されること自体がまともとはいえません。

国会議員の皆さんはまだ正月休みですか?

・・・YOSHIDA, Hiroshi氏、きょうは言ってることがマトモだ(@∀@)

スマトラ地震救援情報ブログ 
http://quakesma.exblog.jp/

・・・おもに国連・国際機関およびNGOの支援活動を紹介&分析。率直な批判もある。



・・・自衛隊サマワその他に派兵する時などの論拠に用いられるロジック、
軍隊の特徴は「自己完結性」にある」、というのは
ウソ・大げさ・まぎらわしい表現であるような気がする。
だいたい「自己完結」という言葉にウソがあるのが一つ。
補給を絶たれて本当に孤立したら軍隊はやっていけない。
そもそも「自己完結」という、軍隊の専売特許ではないものを、あたかもそうであるかのように言うのは
欺瞞、あるいは無知の産物というべきだろう。
もちろん、「自己完結していること」と、「災害支援に役立つこと」とが必ずしもイコールではないことは言うまでもない。

▼<スマトラ地震自衛隊派遣1000人規模に 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050107-00000008-mai-pol
>海自の艦艇は、陸自ヘリなどを積み込んだあと12日ごろ横須賀港(神奈川県)などから出港する予定。陸自が派遣先のスマトラ島北部で活動を本格化させるのは今月下旬になるとみられる。

▼<ウクライナ>軍がイラク撤退決定 今年前半に - 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050111-00000004-mai-int

▼モハマド君急きょ帰国へ イラクの国情不安定化で(共同通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050110-00000040-kyodo-soci
>負傷した左目の手術のため、昨年11月から再来日しているイラク人少年モハマド・ハイサム・サレハ君(10)が、今月末だった帰国予定を急きょ15日に早めたことが10日、分かった。
>モハマド君を支援している静岡県沼津市の一杉真城さん(59)は「イラク国内の情勢が一層不安定になったことなどが理由」としている。
>一杉さんによると、モハマド君が来日後の昨年末、父親のハイサムさん(33)が武装勢力に一時拘束され、疎開先の家が相次いで爆撃された。モハマド君の精神的ショックは大きく、9日に静岡県内で開かれた歓迎のサッカー大会を欠席したという。
>また、30日に控えたイラク国民議会選挙の影響で、国内情勢がさらに不安定になり、国境が封鎖され帰国できなくなる可能性もあるという。

・・・彼の実家はファルージャにある。ひどすぎる。


▼(過去記事)性犯罪者データベースのオンライン公開は合憲か?@ホットワイヤード
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20020613205.html
>「性犯罪者オンライン・データベースのおかげで、人々は街から逃げ出していった」と語るのは、ACLUニュージャージー支部で法的問題責任者を務めるエド・バロカス氏だ。性犯罪者の住所をオンライン上で公開するのは、プライバシーの侵害だとするバロカス氏の主張が認められ、ニュージャージー州の性犯罪者オンライン・データベースでは、性犯罪者の住所は郡で示されており、番地までは明らかにされていない。
>「ニュージャージー州だけでも、職を失ったり、自宅に押し掛けてきた人に殴られたり、いやがらせを受けたりしたケースがある」とバロカス氏は言う。「情報が公開されていることが問題なのではない。問題はどこまで公開するかだ。世界中からアクセス可能な点にも違憲性がある」
>さらに、オンライン・データベースに収められた情報が不正確だったため、罪もない人々が被害を受けたケースもある。性犯罪者が引っ越しをする際、その旨を警察に届け出ることが、法律によって義務付けられている。しかし、中には転居届けを怠る者もあり、それが悲惨な結果を招くこともある。たとえば、テキサス州のオンライン・データベースで、住所の記載ミスが原因となり、道徳心に燃える一団が、ダラス在住の罪もない知的発達障害者の男性を襲うという事件が発生した。被害者の前の住人がたまたま性犯罪者だったのだが、転居の届け出がなかったため、データベースの情報が更新されていなかったのだ。

・・・『未来世紀ブラジル』だ。
おそらく、日本ではミーガン法(にあるような性犯罪者の所在公開制度)は現実的ではないだろう。イラク人質事件の被害者にさえ人権を認めない「人権ぎらい」の人々が、どんな騒擾を(あるいは陰湿な圧力を)引き起こすかは目に見えている。
もっとも、官庁や警察自身にしても、ミーガン法のような制度を維持する自信はないらしい。

▼性犯罪者の情報で温度差 警察庁法務省 (@産経新聞) じつは共同通信
法務省が把握するのは出所者の最初の居住地で、転居を繰り返せば居所を常に把握するのは困難。警察庁内にも「実効性がある制度の構築は無理ではないか」と導入に否定的な意見がある。
>ある警察庁幹部は「出所者は刑を終えた段階で一般人と同じ。法的な裏付けなしに監視し続けることが可能だろうか」と指摘。実現しても「管内の前歴者が再び性犯罪を起こした場合、批判されるのは目に見えている」と警察署の負担が大きくなることを懸念している。

・・・性犯罪者情報を公開すること自体には、犯罪を抑止する力などない
それにこだわる人々は、実は単にみせしめ・いけにえが欲しいだけなのかもしれない。
みせしめ・いけにえを血祭りにあげることには、「なんとなく安心できる」という精神的効用がある・・・なにひとつ問題が解決していないにもかかわらず。
しかし、児童を暴力の被害者にしないためには、迂遠でも実効性ある他の方法を考えないといけないのではないか。



(きのうの分の再掲)・・・『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の漫画版を読んだ人は、感想を送りましょう。

週刊少年マガジン ドキュメントコミック係御中
メールアドレス dcn@kodansha.co.jp

・・・まだの人は漫画喫茶ででも読むといいです。



・・・ネット上のデマに対抗する方法、それは正しい情報へのリンクとトラックバック
私のように、絨毯爆撃コピペ(@∀@)までする必要もないと思うが、まあそこは個人の判断で。

▼「在日の就業と生活保護の統計まとめサイト」はデマサイト@当代江北日記
http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20050108#p1


>「児童小銃」のなんばりょうすけ(id:rna)さんのエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20050106#p3
「在日の5人に1人が生活保護を受けているというのはデマ」ということだ。
>昨日、ヤフー掲示板から以下のエントリにアクセスした人が多かったようなので。
http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20040827
>これも書き直したほうがいいかな(応急処置として、なんばさんのURLを貼っておく)。
>しかし、何にしても生活保護を受けているのは特権階級だ!羨ましい!」という論理は俺には理解不能だ。

・・・「生活保護をもらったら勝ちかなと思っている」人たちなんでしょうね。(@∀@)


在日コリアンの生活実情に関連して、以下の情報も紹介しておこう。
「かつて、日本から北朝鮮への『帰国運動』が熱狂的に推進された背景は何か」について。

▼ Re: 外国人障害者への年金差別@aml
高橋亨です。

>当時、日本で在日の北朝鮮への「帰国」を推進した人たちには、大別して

>(1) 韓徳銖議長に代表される、当時の総連幹部
>(2) 総連の末端活動家たち
>(3) 日本人の活動家たち(佐藤勝巳氏など)
>(4) 日本政府関係者(政治家、官僚、日赤関係者等)

>がいます。これらは分けて考えないといけないでしょう。


北朝鮮の党・政府と直接連絡を取り合っていた総連幹部が、北朝鮮の実情
について何も知らなかったとは思えません。少なくとも「地上の楽園」など
と言えない状況であることは分かっていたはずです。
>彼らは「知っていて騙した側」である疑いが濃厚です。

>末端の総連活動家たちは、上から言われるがままに、躍進する「祖国」の
建設を信じていたのでしょう。そうでなければ手弁当で一軒一軒同胞の家を
訪ねて「帰国」を説いて回るような活動はできません。
>それに、彼らもその生活実態においては一般の在日と変わるところはあり
ませんでした。そもそも、いくら総連が組織をあげて旗を振ったところで、
一般の在日民衆に日本での生活を捨てて北朝鮮に行きたくなる理由がなけれ
ば、あのような熱狂的な運動の盛り上がりはあり得なかったはずです。
>では、その「理由」は何だったのか。
>当時の新聞・雑誌に現れた在日の声をいくつかひろってみます。(記事中
には「北鮮」「朝鮮人部落」等の差別表現が含まれていますが、ここではあ
えてそのまま引用します。)

産経新聞1959年2月2日
在日朝鮮人 総数は60万人 八割が慢性の失業状態

総数六十万にのぼる在日朝鮮人のうち、その八割が慢性の失業状態におかれ
ている。(略)現在、子供総数十五万、そのうち就学しているものはわずかに
二万三千という。「せめて子どもだけは自分たちのようなみじめな目にあわ
せたくない」というのが、かれら父兄たちの願いなのだが―。(略)

毎日新聞1959年2月16日(投書):

(略)私をふくめましていま在日朝鮮人の多くはその日その日をどうやって過
ごしていくかに骨身をけずる思いの最低の生活をしております。一刻も早く
祖国の暖かいふところへ…というのが唯一の念願です。(略)生活上、子供の
教育上深刻な心持ちで“きょうか、あすか”と帰還の日を待ちわびながら仕
事も手につかずにいる私たちの心情をくんでくださって、日本政府の決定が
具体的に実行に移される日が一日も早くなりますよう日本の皆さまのご協力
を願ってやみません。

朝日新聞1959年6月12日
◎北鮮帰還 朝鮮人部落の表情

(略)
朴さんは戦争前、日本で生活の道を見つけようと夫とともに移住してきたが、
土工などの職を見つけるのがやっとだった。(略)現在までくず拾いを続けて
きた。苦しい中から長男と次男を高校に入れ、死ぬ思いで卒業させたのに、
朝鮮人だという理由で就職が出来なかった。長男はようやく朝鮮人学校の先
生になったが、次男は卒業後二年間、いまだにブラブラしているという。
南鮮の出身で、思想的背景もほとんどない朴さんだが、こうした実情を「職
も未来もある北鮮に一日も早く行きたい」と語る顔つきは意外に明るかった。
(略)
金さんの夫は早大を出て朝鮮人学校の先生をしており、一万円を少し越える
収入があるうえ、金さん自身も内職や雑役に出るので生活はどうにかできる
が、自分が小学生時代に受けた屈辱は思い出してもいたたまれない。また学
歴や能力がありながら、就職先のない青年たちが身近かに何人もいるので、
自分の子供にはこんなにがい思いをさせたくないという。「日本そのものは
好きですが、やはり帰ります」と金さんの意思は固かった。

週刊朝日1959年12月27日号
◎日本よ、さようなら 『北朝鮮帰還』第一船の船出

(略)日本人の夫と別れ、二十一になる長女をかしらに四人の子供を連れて帰
還する○○さん(42)は、(略)「私にとっては悪夢のような十一年間でした。
いま振り返っても、日本は恐ろしい所だという印象しか残っていません。
(略)私の力では、これ以上日本にいても、子供たちをどうしてやることもで
きません。皆様にめいわくをかけるだけだし、子供たちにとっても決して幸
福は来ないでしょう。(略)両親そろっていてさえ、なかなか満足な教育を受
けさせるむずかしい日本で、朝鮮人である母親一人では、もう限界です。
(略)私も子供も、日本人なのです。しかし、このままでは、子供の将来がか
わいそうでならない。これから先の教育は、あちらにお願いする方が子供の
幸福でしょう。それにしても、日本には、真面目に働きたい貧しい青少年の
希望を満たすような職場が、なぜこのように少ないんでしょうか」というの
が○○さんの偽らざる日本への別れの言葉なのである。
(略)
「(略)洋裁店を開き、子供は大学四年まで進み、ちょっと見た目には、日本
の中に完全に溶けこんでいるように見えたでしょう。しかし、子供が大きく
なるにつれて、私が朝鮮の生まれであることは隠せないし、子供にしても、
ウソをついてまで就職することは良心が許さないというのです。万一うまく
就職できたとしても、すぐバレることだし、その時どんな仕打ちを受けるか
を考えれば、子供にとっては何の希望もない生活です。
 昔は、子供が大きくなってお嫁さんでももらったら、私一人だけ籍をぬい
て朝鮮に帰ろうと考えていましたが、主人が十年前になくなった上、子供の
将来もないということで悩んでいました。
(略)私はともかく、子供にまで、母が朝鮮人であるということで、こんなに
差別されるというのは、どういうことでしょう。日本の政治が、も少し何と
かなっていたら、第二の故郷である日本を捨てることにならなかった。私た
ちのようなケースでも安心して暮らせる日本に、一日も早くなってほしいと
思います」
(略)子供の○○さん(25)は来年三月には大学を卒業するのだが、「日本の学
士号なんて、私には何のタシにもならない。それよりも早く平壌の法科大学
に通学して、将来は弁護士になりたい」と明日への希望で一杯である。

「楽園天国北朝鮮」の幻想が、差別的日本社会への絶望の裏返しであった
ことがよく分かります。日本にいる限り、将来に何の希望も持てない。当時
の在日にとって、「希望」は北朝鮮にしかなかったわけです。騙されたとい
うより、それを信じるしか生きていく道がなかったのでしょう。



>一番分からないのが、日本人の活動家たちが何を考えて「帰国」運動推進
に取り組んでいたのかです。上のような声が一般マスコミに載っているくら
いなのだから、日本社会の在日に対する理不尽な仕打ちを彼らが知らなかっ
たはずはありません。しかし、一緒にこの社会を変えよう、差別をなくして
ここで共に生きていこう、と「帰国」する在日を引き止める日本人は、ほと
んど誰もいませんでした。


日本政府関係者について言えば、彼らは北朝鮮が「楽園」であろうがなか
ろうが、どうでもよかったのだろうと思います。
「彼らの大半は日本の経済
がどうなろうと慢性失業化している。日本を去るより救済の道はない。捨て
ておけば病人、死人すら出ることは明らかで、この解決が人道問題であるゆ
えんだ」と力説した井上日赤外事部長(産経新聞1959年2月13日)、「(在日
への生活保護で)年間27億円を支給している。日本としては船賃持ちでも帰
国したもらった方が負担が少ない。それに、このままでは社会不安の大きな
原因となるだろう」と語った厚生省社会保護課の発言(東京新聞1958年12月
16日)などが、その本音をよく表しています。
>また、既に1955年頃の段階から日本政府や有力政治家(芦田均、岡崎勝男、
重光葵他)が日赤を通じて在日の北朝鮮への大量「帰還」を赤十字国際委に
働きかけていたことが、昨年情報公開された赤十字国際委の秘密文書で明ら
かになっています。(朝日新聞2004年9月16日)



>ちなみに、当時の悪役は、在日の「北送」に強硬に反対していた李承晩独
裁政権下の韓国でした。
・・・
>当時の新聞を読んでみると、その頃の日本を覆っていた「気分」がよく分
かります。例えばそこには、腰ミノひとつの裸に鉄砲をかつぎ、拿捕した日
本人漁船員を人質にとってタバコをふかす「となりの李さん」なるマンガが
描かれていました。韓国と北朝鮮が逆転しているだけで、相手国を嘲笑し、
自らの責任を棚上げにして「人道」のためと称して「国論一致」で間違った
政策をとろうとしていることには何の違いもありません。
>当時も今も、日本政府、日本社会の韓国・北朝鮮・在日に対する対応は一
貫して間違ったままです。

>高橋 亨
>*対抗言論のページ*
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/

・・・早船ちよの小説『キューポラのある街』には、「帰国運動」の持つ「希望」の空気が描かれたエピソードがある。
その「希望」が虚像であったことは、今では言うまでもない。しかしまた同時に
日本における在日コリアンの「絶望」、その鏡像でもあったということか。

▼日本は何人養える?@ShinShinoharaの日記
http://d.hatena.ne.jp/ShinShinohara/

>「日本は何人養える?・・・一問一答」
>Q1. 日本だけで、どれくらいの食糧が生産できますか?
>A1. 石油が現在と同じ値打ちで手に入るなら、9,000万人分くらいは大丈夫かも知れません。1960年代は食糧自給率が非常に高かった(カロリーベースで79%(1960年))頃ですが、このときそのくらいの人口でした。しかし、石油が高騰するなど、手に入りにくくなると、3,000万人も難しいかも知れません。
>Q2. なぜ石油と食糧が関係あるのですか?
>A2. 肥料や農薬を作るのに石油が必要です。農業機械を動かすのも、輸送手段もそうですね。
>Q3. どのくらい石油が必要なのですか?
>A3. 「土のはたらき」(岩田進午著)によると、化学肥料などを使う現代農法では、収穫物の2.6倍(1970年)のエネルギーを投入しなければなりません。1キロカロリー分のお米を作るのに必要な石油は、2.6キロカロリーだということです。化学肥料・農薬・トラクターで育てたお米は、石油でできている、といってよいでしょう。 ・・・
・・・
Q10. では、輸入がなくなっても米を食べればよい、という話は無理なのですか?
昔はそれができていたのですよね。
>A10. 実は、お米を主食にすることができた歴史は、とても浅いのです。大正の末くらいからです。それまではムギやヒエ、アワなどの雑穀が重要な食糧源でした。満州朝鮮半島から食糧を輸入(当時は強制的移送)するようになって、日本人ははじめてお米を主食にすることができました。
第一次大戦後、シベリア出兵の噂でお米が暴騰し、富山県魚津で主婦たちによる米騒動(1918年)が起きたのが発端だそうです。これにあわてた政府が、朝鮮半島から米を大量に日本に運び(強行に近い)、そのかわりに満州からアワを送っていたようです。朝鮮半島でできるお米の約半分(45.3%)が日本に移送されました(「日本農業100年のあゆみ」暉峻衆三)。日本人が国民的にお米を主食にすることができたのは、このときからでした。ちなみに朝鮮ではそれまで一人あたり0.7石のお米を消費(1915〜1919年平均)していたのに、日本への移出以降、0.44石(1930〜1936年平均)まで落ち込みました。
>この歴史的事実だけ見ても、日本のお米だけでは充分な人口を養えないことは明らかです。
・・・
>Q15. 日本は不景気といっても、インドネシアとは比べものにならない大国です。
食糧のような安価なものを心配することはないのでは?
>A15. 大国といっても、虚像の部分が大きいと見ることが重要です。今の日本の円は不換紙幣といって、金(きん)と交換できた昔の兌換紙幣と違い、日本に対する信用だけで値打ちが保たれています。信用がなくなれば、不換紙幣はもともと紙切れでしかありませんから、1,400兆円あるといわれる金融資産も、全部紙切れになります。
>Q16. 日本がそんな簡単に経済破綻するでしょうか?
>A16. その兆候はいくつもあります。たとえば日本の政府が抱えている借金は1,000兆円に上ります。今は公定歩合という、金利を決める基礎になるものがほとんどゼロですから、借金の利払いも少なくて済んでいます。しかし、いずれ金利は正常化せずにはいませんから、そうなると借金の利払いだけで、40兆円を超えてしまいます。国の一年の税収が45兆円ですから、もう「経営破綻」している状態です。倒産の宣告待ちをしている段階です。 ・・・
・・・
>Q21. 日本はこれから、どうすればよいでしょう?
>A21. 長期、中期、短期の時間軸と、地域サイズの空間軸に分けて考える必要があるでしょう。
短期的には、海外諸国と良好な関係を築くことではないでしょうか。特に、隣国の中国や韓国は今後も経済の発展が予想されます。日本が苦況に陥ったときに、頼りになるのはこうした国々だと思います。
>次にどのサイズの地域を考えるかですが、日本全体となると、非常に難しいと云わなければなりません。日本が迎える可能性の高い危機は財政破綻であるため、国の政府そのものが十分機能しうるか、分かりません。従って、日本全体での対策も重要ですが、道府県レベル以下のサイズで対策を練ることが現実的でしょう。 ・・・

・・・農業経済学の暉峻衆三先生。こんなところでご尊名を見るとは。
日本という国は、今やえらそうに戦争なんかできる立場にはないという事実は認識しておいたほうがいい。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」