イラクへの祈り
・・・このブログの前身は、ジオシティに作った簡単なホームページだ。
2003年の2月あたりだったと思う。
イラク戦争が開始される直前のこと。
何の罪もない人々、専制政治の犠牲者でもある人々が、
身に覚えのないことで爆撃による死を宣告されようとしていた時のことだ。
「なぜこんなことが堂々とまかりとおるのか?」
「俺は見てるだけで、何もしないでいいのか?」
そういう感情に突き動かされて、web署名のリンクを集めたサイトを作った。
忙しいサラリーマンの自分でも、出来ることはあるはずだ、と。
世界中で戦争阻止の運動が開始されていた。もちろん日本でも。
それに関わったすべての人が思ったはずだ。「こんなことが
まかりとおっていいのなら、世界はこれからどうなるんだろうか?」と。
残念ながら結果は見てのとおりだ。戦争は阻止されなかった。
そして呆れたことに、未だにその戦争に「カタがついた」とは言えないという
惨憺たる状態が続いている。
あのころ掲げられた戦争の「大義」は、とっくに蒸発して消えた。
死ぬべきでない、あるいは死ぬはずでなかった無数の人々が死んだことになる。
さらにまた、現在進行形で死んでいる。
だが、この戦争の「責任者」たちは誰一人、その「責任」を取ろうとは
しなかった。
今後もたぶん、そんな調子だろう。
・・・イラク戦争を、積極的にであれ消極的にであれ支持しておきながら
その責任を取らない人々には、二度と「道徳」だの「徳育」だのという
世迷い言を口にして欲しくない。まずは切腹でもしてみたらどうか(@∀@)
▼『ジョジョの奇妙な冒険』47巻第2話「町の守護聖霊」
>ぼくはぼくのパパと・・・別に仲良しじゃあなかったけど
>ぼくのパパはあいつに殺された
>ぼくは「裁いて」ほしかった・・・
>あいつを誰かが「裁いて」ほしかった
・・・ジョージ・ウォーカー・ブッシュの8年間は、
バラク・フセイン・オバマJr.の勝利という形で、
アメリカ国民によって断罪された。
それはもちろん、「イラク戦争を引き起こしたことへの断罪」と同義ではない。
しかしながらもちろん、全く無関係でもない。
・・・俺は来世も「魂の不滅」も信じないが、それでも
イラク戦争によって死んでいった無数の人々の魂が
この世ならぬどこかに存在していてくれたら・・・と
くだらないことを考えることもある。
彼らの魂が、このささやかな断罪行為によって、わずかながらでも
慰められることがあればいいのだが。