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あなたには意外に思えるかもしれない事実:自民党政府がポル・ポト政権を支持していた

・・・意外に自称「愛国」ネチズンはこのことを知らない。だからすぐ対立党派をポル・ポトよばわりするよねw
君らの大好きな自民党が何をしたのかはもっと知っておくべき。

▼「ポル=ポトを支援した日本、もっと援助を」首相
カンボジアウォッチニュース 2009年03月20日
http://cambodiawatch.net/cwnews/nikkei/20090320.php
>フン=セン首相は18日、プノンペンで行われた教育省年次会議における演説で、日本はクメール ルージュを支援したのだから援助をもっと増やすべきだと日本に要請したことを明らかにした。
>「私は日本の大使と話して、日本もクメール ルージュを支援したのだから、日本はもっと援助を増やさなければならない、と言った」と首相。
・・・
>フン=セン首相はまた、1970年のクーデターを煽動した外国勢力は、カンボジアに戦争と大量虐殺をもたらした責任を取るべきだと述べた。
>「ノロドム=シハヌーク王子がもしも政権を追われていなければ、戦争は起こらなかっただろう。クメール ルージュもなかっただろう。 今、クメール ルージュを訴追するふりをしているあの人々。彼らがクメール ルージュを支援した。 彼らが全国に戦争の火をつけたのだ。彼らは戦争を生み出しておいて、今度は復興が充分速くないと言って政府を非難している」と首相は語った。
>18日は、カンボジアの元首であったノロドム=シハヌーク殿下が1970年にクーデターで地位を追われて39年にあたる。クーデター後、米国の支援で樹立されたこのロン=ノル政権を、1975年にベトナムの支援で倒したクメール ルージュは、中国の全面支援を受けて民主カンプチア政府を樹立した。
ソ連と不和になった中華人民共和国は当時、日本や米国との国交正常化を推進し、国連でも中華民国に取ってかわったため、民主カンプチアの国連加盟と日本国による承認は比較的スムーズに行われた。
ベ平連に代表されたような日本の進歩的市民団体や人権団体もまた当時、草の根連帯ないし人道支援としてこの共産主義カンボジアへの募金送金活動を熱情的に展開してきた経緯がある。 ・・・

・・・当時の構図はこうだ。「アメリカがソ連と対抗するために中国と接近。中国は民主カンプチアポル・ポト政権を支援。アメリカを支持する日本政府(=自民党政権)も民主カンプチアを支持・承認」という流れ(@∀@)
「日米(軍事)同盟」だの「国益」だののためなら大量虐殺政権ですら支持するのが自民党でありアメリカ政府、という動かぬ事実が、つい最近もカンボジアからつきつけられていた・・・というわけだ。まーそもそも現実の国際政治の世界はイデオロギーだの「共通の理念」だのでは動いていないしね。そんなの飾りです。平和ボケした自称「愛国者」にはそれがわからんのですよwww

▼「クメール ルージュは米国の爆撃が生み出した」元国王
http://cambodiawatch.net/cwnews/kokusai/20090402.php
▼「国連の罪、ポル=ポトより重い」フン=セン首相
http://cambodiawatch.net/cwnews/kokusai/20090302.php
▼「ポル=ポト後に経済制裁した国々、道義的責任を」首相
http://cambodiawatch.net/cwnews/kokusai/20091125.php

以下、日本政府=自民党政権ポル・ポト政権をいかに承認したかについて。

カンボジア主要年表
http://www.kh.emb-japan.go.jp/political/nikokukan/history.htm
クメール共和国ロン・ノル時代)
>●1970年3月17日、ロン・ノル将軍がクーデターにより首相に就任し、「クメール共和国」成立。この政変が合法的になされ、新政府が引き続きそれまでの国際約束を尊重していくと表明したのをもって、日本は新政府に対し黙示の承認。
>●1970年、プノンペン王立芸術大学チェン・ポン教授(98年〜選挙管理委員会委員長)がカンボジア舞踊団をつれて、大阪万博に参加。
>●1975年4月5日、内戦により治安が悪化したプノンペンより、栗野鳳大使を召還後、日本大使館閉鎖。
>(1975年4月17日 ポル・ポト軍がプノンペンを陥落、民主カンプチア政権成立)

民主カンプチア(ポル・ポト時代)
>●1975年4月17日、ポル・ポト軍によりプノンペン陥落。新政権の実効的支配が確立したと判断した日本は、カンプチア王国民族統一政府(GRUNK)を承認。1976年、日本の在中国大使と在中国・民主カンプチア臨時代理大使との間で大使級の外交関係を開始するとの書簡を交換。
>●1978年8月12日、副首相兼外相イエン・サリが訪日。同日、園田直外相外務大臣と会談。イエン・サリより日本大使の訪問を歓迎するメッセージを受け、在中国大使がカンボジア訪問。
>(1978年 ベトナムカンボジアに侵攻)
>(1979年1月 ヘン・サムリン政権により「カンプチア人民共和国政府」が樹立)
>(1982年2月 民主カンプチア政権成立)

・・・この年表には書いてないけど、1979年9月には国連総会で民主カンボジアカンボジア代表にする決議が承認されている。つまりポル・ポト派の国連代表権の継続が承認され、ポル・ポトを駆逐したヘン・サムリン政権(ベトナムの支援を受けている。さらにベトナムソ連の支援を受けている)は承認されなかった、ということだ(@∀@)


カンプチア人民共和国カンボジア国ヘン・サムリン時代)
>●1979年1月、ヘン・サムリンを首班とする「カンボジア人民共和国政府」が成立。越の軍事介入による傀儡政権を、日本政府として政治的に認めるわけには行かず、ポル・ポト政権を承認してきたそれまでの立場を維持。
>●1980年、上智大学はアンコール遺跡国際調査団を派遣。
>●1982年2月、反越・反プノンペン政府の抵抗闘争を続けるポル・ポト派シハヌーク派ソン・サン派の三派がシハヌーク殿下を長として「民主カンプチア連合立政府(CGDK)」を成立。日本は「ASEAN諸国の立場を支持する」政策により間接的にCGDKを支持。
>●1982年末、プノンペンの在留邦人は2名のみ。

カンボジア和平
>●1987年10月24日、在フランス日本大使がパリ近郊でシハヌーク殿下と懇談。日本の大使の同殿下公式訪問は1970年のクーデター以来、17年ぶり。
>●1987年12月2日〜4日、パリ近郊でシハヌーク殿下とフン・セン首相が会談。
>●1989年7月30日、仏・インドネシアが共同議長で、「カンボジア和平に関するパリ国際会議」開催。日本は、第二次世界大戦後初めて、アジアにおける第三国の紛争解決を図る国際行動に参加。・・・(以下略)

・・・ついでにこの人のコメントも。

日本共産党 不破哲三氏によるコメント(1999年)
http://www.jcp.or.jp/jcp/etc_kaigi/990725_jcp77th_fuwa.html
>この問題で実は最近、こっけいなことがありました。六月に東京・足立の区長選挙があったでしょう。あのときには、相手は自自公に民主党が加わっての大激戦で、反共攻撃がほんとうにひどかったのですが、公明党の党首(代表)代行が、なんとカンボジアポル・ポト政権の問題をもちだして日本共産党攻撃をやったのです。「日本共産党がめざす体制とはなんなのか。カンボジアポル・ポト体制とどうちがうのか、真っ正直に説明すべきである」。こんなことをいったのです。
ポル・ポト体制というのは、カンボジアの国民を百万人単位で殺したというたいへんな犯罪体制でした。それをひっぱりだして攻撃をする。私はあとでこれをきいてあきれました。なにをあきれたかというと、この方が自分の党の歴史をなにもご存じないことにあきれたのです。
>実は、日本の政界では、八〇年代のはじめごろに、ポル・ポト政権への応援というのが盛んだったのですね。「救援センター」をつくるとか、ポル・ポト政権支援の「国際会議」をひらくとかが、ずいぶんやられました。当時は、中国がまだ毛沢東時代の名残がつよいころで、ポル・ポト政権の背景に中国がいることをみんな知っていますから、各党が”われもわれも”とこの運動に参加し、日本共産党を除く全会派が応援団の仲間入りをしました。
>自国の国民を大量に殺したポル・ポト派の非人道ぶりを告発したのは、日本共産党だけでした。公明党もその応援組織に副委員長などを送りこんだ、れっきとしたポル・ポト応援派であります。その公明党が、ポル・ポト問題をもちだして日本共産党を攻撃するとは、よくもいえたものだというのが、私があきれかえった真相であります。(大きな拍手)
日本共産党は、中国共産党が「文化大革命」を支持するよう干渉してきたのを拒絶したため、長らく中国共産党とは絶交状態にあった。中国共産党は30年もの間、日本共産党アメリカなどとならぶ「四つの敵」の一つとみなしていた。詳細は以下。
http://ja.wikipedia.org/wiki/文化大革命

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」