1983年、サンケイ新聞社社長の鹿内信隆は、陸軍経理学校時代の話として
「慰安所の開設」にも触れた。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm
>「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか
悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が
将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければ
ならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが
『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」
(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)
※朝鮮人の従軍慰安婦は、当時は「朝鮮ピー」と呼ばれていた。