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■[南京事件FAQ]番外:デムパ採集


・・・今日もイキのいい電波を採集しました。(@∀@)

▼【産経抄】映画「南京・クリスマス・1937」、〜歴史的検証に耐えうる証拠や資料が少ない [1/23]
@東アジアニュース速報+@2ch掲示


386 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/01/25(水) 11:42:57 id:mS0JKlwV
南京大虐殺の歴史的検証に耐えうる資料〜
・戦闘前に通告して民間人を避難させたことから「南京全市民は約20万人が全員無事だった」
 と、現地の安全区国際委員長から日本軍に感謝状が出されている事実。
中国共産党軍の戦記(日中戦争を批判的にまとめたもの)の中にすら
 「南京虐殺」の記述など一行もない。
中国国民党軍の「南京陥落の様子、将校・下士官・兵の戦傷者数」まで詳細に
 記録した軍事報告書にも「市民の虐殺」など一行も書かれてない。
東京裁判で中国に「南京の人口が大虐殺で30万人も減」と報告書を提出した
 金陵大学社会学教授スマイスは、『東京裁判』より前の南京市の人口統計
 調査では「人口に大きな増減はない(日本の占領前も後も20〜25万人で
 変化なし)」と報告していて、南京の安全区国際委員長もその数字を確証
 している。(皮肉にもこれらは全て中国側の資料から証明された)つまり
 『東京裁判前は現地で調査した学者すら大虐殺など認めてない』のに、
 『東京裁判では同じ学者が全く別の数字を提出した』というのは不整合。
鎌倉市より狭い南京城内に日本人や外国人の記者やカメラマンが約120人も
 占領とほぼ同時に入城したが誰も虐殺など見ておらず、現地に行って来たは
 ずのプレスマンたちは皆、南京大虐殺を『東京裁判で初めて知って驚いた』という矛盾。
東京裁判に提出された統計表自身も不可能な数字が多い、
 崇善堂の例を挙げればブルドーザーやパワーショベルどころかトラックも
 ほとんどない時代にたった12人の隊員で1日平均2600体を10日間続けて埋葬など不可能。
 また、この埋葬活動を見た外国人記者も日本人も誰一人いない。
・現在入手可能な南京の証拠写真は検証の結果『全て証拠能力がない』と
 証明された。中には日本の雑誌の表紙から無関係な兵士写真を引用し
 南京での略奪の図として証拠にあげる例もあり、捏造の存在は否定不能
 他の写真も『明らかな合成の痕跡』だけでなく『南京には存在しなかった
 戦車や崖が写っている』『冬だったはずなのに夏服』など捏造が判明。
 結局証拠能力があるものは3万枚の写真から『1枚も』残らなかった。
南京大虐殺記念館にある人骨が『文革の時に殺された人々の骨』だった。
 つまり「別の場所、別の時代に、中国人が殺した中国人の骨」だった。
 同様に南京大虐殺記念館で人体実験の証拠として展示している写真は
 実は『被験者は中国人ではなく日本人である』と判明している。
・日本が詳細な調査を提案すると『中国は調査から逃げ続けてる』。
真実であれば逃げる理由などない。

・・・ああ、これが東アジア板クオリティw(@∀@)資料の名称を明示するとか、参考にした資料へのリンクを示すとか、その程度の誠実さすら存在しない。
そしてまた、ミリオタないし歴史ファンなら、こういう間違い(または嘘八百)は決して書かないだろう。
以下、軽くけちらしてみよう。


東京裁判に関する論点は多数あるので回を改めるが、「南京事件東京裁判でいきなり出てきた話」というのはウソである。たとえば作家・石川達三は「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)で南京での虐殺や婦女暴行について兵士に取材しているが、これは即日販売禁止。石川も禁固四か月(執行猶予三年)の判決を受けた。
・・・また、当時の陸軍は「新聞掲載事項許否判定要領」でメディアやジャーナリストを検閲し、以下のような写真の存在を許さなかった。
>(12)我軍に不利なる写真
>(13)支那兵または支那人尋問等の記事写真中、虐待の感を与える虞あるもの
>(14)惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし

こうした検閲の網の目をのがれえたのが、軍人である村瀬守保氏(兵站自動車第17中隊で写真班)の撮った写真。
▼西洋人による南京事件の写真としては、南京安全区国際委員(複数)に撮影されたものがイェール大学神学図書館に所蔵されている。ラーベからヒトラーへの報告書附属文書にも、そうした写真80枚がラーベの解説つき(撮影者・出所・撮影現場など)が添付されていた。
▼当時の南京では崇善堂を含む複数の慈善団体が死体処理を行っており、その記録は日本の南京特務機関による『華中宣撫工作資料』(1938.2)にも登場する。
>「紅卍字会屍体埋葬隊(隊員約600名)は一月上旬来、特務機関の
指導下に城内外に渉(わた)り連日屍体の埋葬に当り二月末現在に於て約五千
に達する屍体を埋葬し著大の成績を挙げつつあり」
▼『大阪朝日新聞』(北支版1938.4.16)の記事によれば、紅卍字会、南京市自治委員会、日本山妙法寺(の僧侶)たちが、「最近までに城内で 1,793体、城外で 30,311体を片づけた。約 11,000円の入費となってゐる。苦力(クーリー)も延5,6万人は動いている。」とのこと。
▼スマイスの『南京城区における戦争被害』によれば、日中前面戦争前の南京城区人口は100万以上。その後、日本海軍機による空襲で減少したので、1937年11月初旬には50万人。
東中野南京事件証拠写真」を検証する』は激しくトホホ本
(以下、おもな検証ページ)
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/#syashin
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/index3.html 
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/nankin01.html
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/11/dgrseh/dgrseh.html
倫理学の先生に軍事史や写真の知識を期待するのがそもそもムリ(@∀@)
南京事件当時でも冬服が届かず、夏服を着たままの日本兵がいた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/natuhuku.html
>「我が第九師団はこのときまで夏服を着用し、防寒のため一部の兵が民服を着用」
(偕行社「南京戦史資料集Ⅰ」p.615)
▼現存する東宝映画『南京』は穴だらけw
当時のスタッフの文書記録と比較すると、あるはずの場面がない。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/movie.htm




・・・とりあえず、果てしないので今日はここまで。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」